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学校日記

3月14日 三学期終業式(概要)

公開日
2023/03/31
更新日
2023/03/31

全校

 明日の卒業式をもって、3学期47日が終了となります。また、令和4年度204日の登校日の最後を迎えます。3学期当初、そして年度当初に立てた目標は達成できたでしょうか。始業式に1の2の稲葉さんの作文を読みました。上手に周囲に依存する力をもつこと、困ったら、苦しかったら人を頼ればいい、ただし頼るだけでなく、うまくいかないできない自分を隠さず自覚し、それに感謝する。そのことを周りが受け止め、一緒になって考えることを話しました。自分の3学期の始めの頃や1学期の頃の授業や毎日のくらしと比べてください。変化があったはずです。自分を自覚し、依存することはありましたか?友が依存してきたことを、自分事として受け止め、一緒に考えましたか?そこに自分とは違う考えに触れた深まりがあったはずです。それを感じてください。そして4月からの目標を立ててください。 =中略=
 ずっと一年間、「見えないものを見ようとする生徒に」という話をしてきました。これは、見えないものを見ようとして、少しずつ見えてくればくるほど、自分の浅さに気がつき、人は謙虚になる。頭を下げ、自ら学び考えるようになるのではないかと思うからです。全国大会に出た陸上部の皆さんから、いつも自然に「支えてくれた人のお陰です」という言葉が出ます。他の皆さんもよく聞いたり、使ったりしている場面がありました。ひたむきに取り組んできたからこそ、出る言葉だなと思いましたし、この言葉は、もちろん、指導してくれた先生、切磋琢磨した仲間、そして、いつも暮らしを支えてくれた家族のこと等を指して言っていることでしょう。
 私はもう一つ解釈を付け加えたいと思っています。「支えてくれた人のお陰です」という言葉の中には、できない自分を意識し、自覚しているから出る言葉だと思っています。先生の教えることも、切磋琢磨したり、一緒に学んだりする友のありようや考えも、そして、支える家族の関わりも、自分にはできないことなのですね。できない自分を意識する時、人は柔和(柔らかいに平和の和と書きます)で謙虚になります。そして自分で学び始める、人から学び学び続ける。そうやって人はたのもしくなっていくと考えているからです。それは、毎日当たり前すぎて、見えないのかもしれません。時には反発することもあるでしょう。
 竹内まりやさんの「いのちの歌」という歌があります。昨日3年生には聞いてもらいました。その中の一節にはこう書いてあります。
「本当に大事なものは、隠れて見えない。ささやかすぎる日々の中に、かけがえないよろこびがある」
 終わりを迎える今、見えないもの、できない自分を自覚し、謙虚になって、当たり前の中にあるものに気づく。「あなたがいて、私がいる」そんな毎日を学年が上がっても、本校から旅立ってもすごしてくれたらうれしいです。